続きです。
2005年4月21日 演劇・タカラヅカなどアリとレオンとファティマのお話。
こちらはファティマちゃんのストーリー。
************************
レオンはちゃらちゃらしてて、いつも遊んでいる。
自分はこの人の恋人なのよね?
でもしょっちゅう浮気してたりするし。
それがばれるたびに文句を言おうとすると口唇をふさがれて、強く抱きしめられて。
そのたびに何もいえなくなる。
そばにいてくれるときは、いつも優しくて、ちょっと甘えたような目をして。
この表情は私だけのもののはず。
だから、それでいいかな、なんて思ってた。
それがある夜、いつもと違う雰囲気を漂わせていた。
何かを隠してるのはいつものことだけど、でもちょっと違う。
私は彼の一番の存在だから、それはすぐにぴんとくる。
そして問いただす。どこにも行かないで。
彼は言った。ここにいるだろ。
でも、こうも言った。オレのことは、信じるな。
そしていつものように強く抱きしめられて何もいえなくなる。
でも彼は珍しく本当のことを話し始めた。
無謀な計画。成功なんてするわけない。
この人が、本当のことを言うなんて、何かの予感がする。
そしてパリに行くという。
私のことはどうなるの?
聞きたいけど聞けなかった。
私は彼の一番の存在のはずなのに、違う答えが返ってきそうで。
こんなに好きなのに、彼に思いは届いていないの?
そして彼は明け方私のところから離れていった。
大好きな彼を破滅させたくない。ずっとそばにいて欲しいのに。
何かをはじめる前に、止めなくちゃ。
そして彼から聞いた話を警察長官に話してしまった。
警察長官は言った。
未遂のうちに止めれば、ちょっと牢屋に入ってすぐにでてくる。
ちょっと、がどれくらいかはわからないけどその間なら私は待てる。
彼がどこかに行ってしまうより、そっちの方が絶対にいい。
でも、彼は死んでしまった。仲間のアリの銃弾で。
直接引き金を引いたのはアリ。
でも、その原因を作ったのは私。
私は、愛する人を殺してしまったんだ。
遠くにいってほしくなくてしたことが、私から彼を永遠に奪ってしまうことになるなんて。
私は、これから誰も愛さない。決して、誰も愛さない。
******************************
ファティマは最後、慟哭をダンスと表情で表現するのです。
その慟哭の表情がせつなくてせつなくて。
ファティマちゃん@華城さんは「寂しい」「切ない」「哀しい」といった
思いを演じるのがとても上手で胸に迫るものがありました。
******************************
で、ここから先は「マラケシュ最高」と思ってる人は読んで欲しくない超毒吐きなんですが。
と、一応、予防線を張っておいて。
宝塚の大劇場のお芝居というものは、
基本的に90分前後で起承転結つけなくてはならないものではないですか?
その90分の中にこの作者は一体いくつの物語を突っ込んでいるんでしょう?
それぞれのキャラが背負っているストーリーは一つ一つ惹かれるのに
時間が足りなくて描ききれてない。もったいない。
たとえば、レオン主役にしてファティマヒロインでアリとの関係を描いていく話で
充分1本の話が作れるわけですよ。
宝塚としてはありえないかもしれませんが
イヴェット主役でその栄光と転落、そして再生の軌跡を辿る話でも
これまた充分に一本の話が作れるわけです。
もったいない。本当にもったいない。
リュドヴィークが主役で、彼を取り巻く人間関係をもう少しシンプルに
かつ、それぞれの人物がもう少し緊密に影響するように
話を整理できなかったんでしょうか?
風呂敷広げすぎて、あれ?みたいな話になってしまってますよね。
作者の荻田氏としては、マラケシュという、最果ての異郷に引き寄せられ
すれ違う人物たちの群像劇を書きたかったのかもしれませんけど
これだけの登場人物揃えて、それをやっちゃうと
どうしたって90分前後では収まらないというのは、自明のことであるわけで
本当にもったいない。
そして、荻田氏は樹里さんの退団というアングルを生かそうとしてたのかもしれませんが
それがマイナス方向に生かされすぎていて、見ていて痛すぎる。
この世では誰に寄り添うこともなく、誰も信じることができず最後の最後まで裏切られて。
自分に向けられていたいくつかの愛情には気づくこともない愚かさを持ち、
でも、どこにも居場所を見つけることが出来ないまま渇いて渇いて、そして朽ち果て。
他の登場人物はみな現世で癒され、死ぬ人間も目的を達し、
生ける人間は明日に向かって歩いていくというのに、
レオンだけは目的を達することもなく、明日もなく。
そして、魂となって砂漠を漂うときにようやく、本当にようやく、これ以上ない笑顔。
これは、痛すぎます。大劇場最後なのに。
これだけの痛い役を当てておきながら、物語の本筋には絡んでいない。
それもまた、痛さを増す効果となっている。
その痛さが荻田氏の構築したアングルの一部だということは、十分承知していますが
そこまでの痛みを感じさせることを大劇場最後の人間に演じさせるということが
どうも腑に落ちないのです。
退団、というストーリーをマイナスの方向にしか生かそうとはしなかった荻田氏のアングル。
暖かく送り出すというよりは冷たく突き放すだけの、荻田氏が樹里さんに担わせたアングル。
レオンには明日はありませんでしたが、レオンを演じる樹里さんにも次はないのです。
この、冷静で、ある意味残酷なまでに計算されているアングルは一体・・・
荻田氏は、宝塚歌劇団の座付き作者として大変優秀な方であると思います。
ただ、私は荻田氏の方向性に、今回は疑問を感じた、それだけなのですが。
こちらはファティマちゃんのストーリー。
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レオンはちゃらちゃらしてて、いつも遊んでいる。
自分はこの人の恋人なのよね?
でもしょっちゅう浮気してたりするし。
それがばれるたびに文句を言おうとすると口唇をふさがれて、強く抱きしめられて。
そのたびに何もいえなくなる。
そばにいてくれるときは、いつも優しくて、ちょっと甘えたような目をして。
この表情は私だけのもののはず。
だから、それでいいかな、なんて思ってた。
それがある夜、いつもと違う雰囲気を漂わせていた。
何かを隠してるのはいつものことだけど、でもちょっと違う。
私は彼の一番の存在だから、それはすぐにぴんとくる。
そして問いただす。どこにも行かないで。
彼は言った。ここにいるだろ。
でも、こうも言った。オレのことは、信じるな。
そしていつものように強く抱きしめられて何もいえなくなる。
でも彼は珍しく本当のことを話し始めた。
無謀な計画。成功なんてするわけない。
この人が、本当のことを言うなんて、何かの予感がする。
そしてパリに行くという。
私のことはどうなるの?
聞きたいけど聞けなかった。
私は彼の一番の存在のはずなのに、違う答えが返ってきそうで。
こんなに好きなのに、彼に思いは届いていないの?
そして彼は明け方私のところから離れていった。
大好きな彼を破滅させたくない。ずっとそばにいて欲しいのに。
何かをはじめる前に、止めなくちゃ。
そして彼から聞いた話を警察長官に話してしまった。
警察長官は言った。
未遂のうちに止めれば、ちょっと牢屋に入ってすぐにでてくる。
ちょっと、がどれくらいかはわからないけどその間なら私は待てる。
彼がどこかに行ってしまうより、そっちの方が絶対にいい。
でも、彼は死んでしまった。仲間のアリの銃弾で。
直接引き金を引いたのはアリ。
でも、その原因を作ったのは私。
私は、愛する人を殺してしまったんだ。
遠くにいってほしくなくてしたことが、私から彼を永遠に奪ってしまうことになるなんて。
私は、これから誰も愛さない。決して、誰も愛さない。
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ファティマは最後、慟哭をダンスと表情で表現するのです。
その慟哭の表情がせつなくてせつなくて。
ファティマちゃん@華城さんは「寂しい」「切ない」「哀しい」といった
思いを演じるのがとても上手で胸に迫るものがありました。
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で、ここから先は「マラケシュ最高」と思ってる人は読んで欲しくない超毒吐きなんですが。
と、一応、予防線を張っておいて。
宝塚の大劇場のお芝居というものは、
基本的に90分前後で起承転結つけなくてはならないものではないですか?
その90分の中にこの作者は一体いくつの物語を突っ込んでいるんでしょう?
それぞれのキャラが背負っているストーリーは一つ一つ惹かれるのに
時間が足りなくて描ききれてない。もったいない。
たとえば、レオン主役にしてファティマヒロインでアリとの関係を描いていく話で
充分1本の話が作れるわけですよ。
宝塚としてはありえないかもしれませんが
イヴェット主役でその栄光と転落、そして再生の軌跡を辿る話でも
これまた充分に一本の話が作れるわけです。
もったいない。本当にもったいない。
リュドヴィークが主役で、彼を取り巻く人間関係をもう少しシンプルに
かつ、それぞれの人物がもう少し緊密に影響するように
話を整理できなかったんでしょうか?
風呂敷広げすぎて、あれ?みたいな話になってしまってますよね。
作者の荻田氏としては、マラケシュという、最果ての異郷に引き寄せられ
すれ違う人物たちの群像劇を書きたかったのかもしれませんけど
これだけの登場人物揃えて、それをやっちゃうと
どうしたって90分前後では収まらないというのは、自明のことであるわけで
本当にもったいない。
そして、荻田氏は樹里さんの退団というアングルを生かそうとしてたのかもしれませんが
それがマイナス方向に生かされすぎていて、見ていて痛すぎる。
この世では誰に寄り添うこともなく、誰も信じることができず最後の最後まで裏切られて。
自分に向けられていたいくつかの愛情には気づくこともない愚かさを持ち、
でも、どこにも居場所を見つけることが出来ないまま渇いて渇いて、そして朽ち果て。
他の登場人物はみな現世で癒され、死ぬ人間も目的を達し、
生ける人間は明日に向かって歩いていくというのに、
レオンだけは目的を達することもなく、明日もなく。
そして、魂となって砂漠を漂うときにようやく、本当にようやく、これ以上ない笑顔。
これは、痛すぎます。大劇場最後なのに。
これだけの痛い役を当てておきながら、物語の本筋には絡んでいない。
それもまた、痛さを増す効果となっている。
その痛さが荻田氏の構築したアングルの一部だということは、十分承知していますが
そこまでの痛みを感じさせることを大劇場最後の人間に演じさせるということが
どうも腑に落ちないのです。
退団、というストーリーをマイナスの方向にしか生かそうとはしなかった荻田氏のアングル。
暖かく送り出すというよりは冷たく突き放すだけの、荻田氏が樹里さんに担わせたアングル。
レオンには明日はありませんでしたが、レオンを演じる樹里さんにも次はないのです。
この、冷静で、ある意味残酷なまでに計算されているアングルは一体・・・
荻田氏は、宝塚歌劇団の座付き作者として大変優秀な方であると思います。
ただ、私は荻田氏の方向性に、今回は疑問を感じた、それだけなのですが。
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