全女ついに解散、29日横浜ラストバトル [日刊スポーツ]
2005年3月29日 時事ニュース
03月29日付 日刊スポーツの報道「全女ついに解散、29日横浜ラストバトル」へのコメント:
ついにこの日が・・・・
というか、はっきり言っちゃうと随分長い間だましだまし経営してきたものだと思います。
手形の不渡りを出したのが97年。それから10年近い時間
よく、選手も松永一族もがんばったと思います。
最近では3万円程度の金が払えず、話題にもなりました。
そしてはっきりついでにいってしまうと、
松永一族に経営者としての才覚はなかったと思います。
焼きそばはおいしかったけど。
ビューティーペアが出てくる→もうかる→事業拡大
→ビューティーペア引退→人気選手がいない→耐え忍ぶ
→クラッシュギャルズが出てくる→もうかる→事業拡大
→クラッシュギャルズ引退→人気選手がいない→耐え忍ぶ
→アジャコングが注目され、団体対抗戦時代に突入、北斗晶・豊田真奈美台頭
→もうかる→事業拡大→対抗戦バブルはじける
→経営行き詰まる→不渡り→選手流出→「でも一人人気選手がでてくれば」
ってあんた・・・・・・・
でも、時代の流れなのかもしれないです。
クラッシュギャルズに憧れた世代(全女流に言うと平成元年組くらい?)までは
「体格大きい女の子は女子プロレスにいけ」なんていわれる時代でした。
でも今はいろいろありますし、第一「大きい」といわれる身長の基準が
随分高くなってしまいまいました。
だからなかなか選手が育たない。
「一人人気選手が出れば」といったってそんななかから登場するわけがないのです。
時代を感じてしまいます。
http://www.nikkansports.com/ns/battle/p-bt-tp0-050329-0007.html
*******************************
全女公式にはこんな文章が載っています。
全女というのは松永会長がはじめた会社であり
会社といいながら、一族で経営は握ってきた会社でありました。
(ロッシー小川なんて人もいましたが、所詮は松永家の使用人だったように思います)
しかも、全女が幸運であり、不幸だったのは
上にも書いたように、ピンチになるとニューヒロインが彗星のごとくあらわれたことです。
全女はその昔「25歳定年制」という制度を引いていました。
これは松永会長の、選手に対する数少ない思いやりでした。
「25歳定年制」とは、その名の通り25歳になったらどんな選手でも引退するということ
その昔は中卒若しくは高校中退で入団してくる人がほとんどで
25歳くらいでプロレスには見切りをつけ、新しい人生をそこから歩き出しなさい、
という意味での25歳定年制でした。
しかし、時代とともに消えていきました。
その結果、ビューティーペア→クラッシュギャルズ→対抗戦世代と
25歳定年制によってうまい具合に選手の世代交代が進んでいたのが
今現在もなお、対抗戦世代の選手がトップを張っているという
異常事態になってしまいました。
全女の場合、デビューした年度で○○年組と呼ばれるのですが
平成元年組から平成7年組までの間が各年度一人から二人程度しか残らず
ほぼぽっかりとあいてしまい、選手の世代交代が出来なかったのが
今思えば致命傷になったと思います。
それでもなお、松永会長が思いつづけていました。
「一人スターがでてくれば状況が変わる」
過去の成功体験に縋りたいのは、人間の悲しい性なのでしょうか。
選手層が変わらないのに、新しいスターなど出てくるはずがないのです。
そんな簡単なこともわからなくするほどに、過去の成功体験は眩しいものだったんでしょう。
経営者としては、失格です。
しかも、景気の良いときに「選手のために」と不動産や飲食事業に手を出し、失敗。
これも会社を傾ける大きな要因となってしまいました。
今回の件はTV放送がなくなる、格闘技が細分化するなど
いろいろ他の要因もあったのでしょうが、主な原因は松永会長です。
選手想いだけれど、それが選手のためにならなかった。
悲しいことです。
ついにこの日が・・・・
というか、はっきり言っちゃうと随分長い間だましだまし経営してきたものだと思います。
手形の不渡りを出したのが97年。それから10年近い時間
よく、選手も松永一族もがんばったと思います。
最近では3万円程度の金が払えず、話題にもなりました。
そしてはっきりついでにいってしまうと、
松永一族に経営者としての才覚はなかったと思います。
焼きそばはおいしかったけど。
ビューティーペアが出てくる→もうかる→事業拡大
→ビューティーペア引退→人気選手がいない→耐え忍ぶ
→クラッシュギャルズが出てくる→もうかる→事業拡大
→クラッシュギャルズ引退→人気選手がいない→耐え忍ぶ
→アジャコングが注目され、団体対抗戦時代に突入、北斗晶・豊田真奈美台頭
→もうかる→事業拡大→対抗戦バブルはじける
→経営行き詰まる→不渡り→選手流出→「でも一人人気選手がでてくれば」
ってあんた・・・・・・・
でも、時代の流れなのかもしれないです。
クラッシュギャルズに憧れた世代(全女流に言うと平成元年組くらい?)までは
「体格大きい女の子は女子プロレスにいけ」なんていわれる時代でした。
でも今はいろいろありますし、第一「大きい」といわれる身長の基準が
随分高くなってしまいまいました。
だからなかなか選手が育たない。
「一人人気選手が出れば」といったってそんななかから登場するわけがないのです。
時代を感じてしまいます。
http://www.nikkansports.com/ns/battle/p-bt-tp0-050329-0007.html
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全女公式にはこんな文章が載っています。
全日本女子プロレスの今後につきまして。
全日本女子プロレス興行?代表取締役会長、松永高司は、
4月17日(日)に開催されます、後楽園ホール大会をもちまして、
勇退いたします。
会長勇退後の全日本女子プロレスにつきましては、
選手、スタッフ共に話合いを続けている状態でございますので、
方向性が決まり次第、皆様にはお知らせさせていただきます。
ファンの皆様には今後とも選手の応援をどうぞ宜しくお願いいたします。
2005年3月29日
全日本女子プロレス興行?
全女というのは松永会長がはじめた会社であり
会社といいながら、一族で経営は握ってきた会社でありました。
(ロッシー小川なんて人もいましたが、所詮は松永家の使用人だったように思います)
しかも、全女が幸運であり、不幸だったのは
上にも書いたように、ピンチになるとニューヒロインが彗星のごとくあらわれたことです。
全女はその昔「25歳定年制」という制度を引いていました。
これは松永会長の、選手に対する数少ない思いやりでした。
「25歳定年制」とは、その名の通り25歳になったらどんな選手でも引退するということ
その昔は中卒若しくは高校中退で入団してくる人がほとんどで
25歳くらいでプロレスには見切りをつけ、新しい人生をそこから歩き出しなさい、
という意味での25歳定年制でした。
しかし、時代とともに消えていきました。
その結果、ビューティーペア→クラッシュギャルズ→対抗戦世代と
25歳定年制によってうまい具合に選手の世代交代が進んでいたのが
今現在もなお、対抗戦世代の選手がトップを張っているという
異常事態になってしまいました。
全女の場合、デビューした年度で○○年組と呼ばれるのですが
平成元年組から平成7年組までの間が各年度一人から二人程度しか残らず
ほぼぽっかりとあいてしまい、選手の世代交代が出来なかったのが
今思えば致命傷になったと思います。
それでもなお、松永会長が思いつづけていました。
「一人スターがでてくれば状況が変わる」
過去の成功体験に縋りたいのは、人間の悲しい性なのでしょうか。
選手層が変わらないのに、新しいスターなど出てくるはずがないのです。
そんな簡単なこともわからなくするほどに、過去の成功体験は眩しいものだったんでしょう。
経営者としては、失格です。
しかも、景気の良いときに「選手のために」と不動産や飲食事業に手を出し、失敗。
これも会社を傾ける大きな要因となってしまいました。
今回の件はTV放送がなくなる、格闘技が細分化するなど
いろいろ他の要因もあったのでしょうが、主な原因は松永会長です。
選手想いだけれど、それが選手のためにならなかった。
悲しいことです。
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