先月の「こっこクラブ」にこんなQ&Aがありました。

Q:2歳になる息子が、袋に入ったゼリーを全部食べたいとぐずってこまります。
A:このくらいの年代の子は、見えてしまうと全部食べないと気がすみません。
  数を決めてあげるようにし、ストック分は見えないところに隠しましょう。

「このくらいの年代の子」に限らず、見えてしまうと何でも欲しくなってしまうのは
実は大人も同じと思います。
ただ、大人の場合はそれなりに分別があり、子供にはそれがない、と言うだけの話で。
大人が身に付けている分別、その一つに「足るを知る」ということがあると思います。
何でも欲しがるのではなく、自分の身の丈にあったもので満足する。
あまりにも欲深く幸せを追求しすぎない。
与えられているもの、背伸びをしすぎずに手に入れられるものに満足する。
それが「足るを知る」と言う言葉の私なりの解釈です。

今回、樹里さんの件でネットを眺めていて、また途中で
彩輝さんの話題も入り、その状況で宝塚関係では特に
「足るを知る」ことの大切さを強く感じました。
私が宝塚関係に興味を持ち出して、まず驚いたことは
その世界の間口の狭さにはおよそ似つかわしくない深さのある世界ということ。
そしてその世界は一般的な芸能界よりも遥かにファン側に近いということ。
結果、ちょっと知っている人なら誰でも預言者気取り。
総細木和子状態って言うか。総マドモアゼル・愛(♂)でもいいけど。
怖い世界だと思いました。
「足るを知る」ということを、しっかり自覚していないと
ずぶっと足を踏み入れ動きが取れなくなる。

まず、樹里さんの件では、公表してもいない詳細な症状を云々している人がいるのに驚き。
彩輝さんの件では、まだ彩輝さんがいなくなってもいないのに
堂々と次の月組トップスターについて云々している人たちに驚き。
病気の詳細な症状にしても、トップスターの後任にしても
かなりデリケートな問題であり、ファンとはいえ、身内でもなんでもない
赤の他人がああでもないこうでもないと云々する問題ではなく、
与えられた情報の範囲内で受け取っていればいいと私は考えます。
「足るを知る」ことの大切さを痛感しました。
ネットにつないでパチパチパチとキーボードを叩くのは分別のない
子供であるはずはないのに。

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