おっぱいと断乳の話。
2004年7月29日 育児アクセス元表示を見ると、やっぱり季節ものか
宝塚関係でここに来られた方が多いのですが
その次に多いキーワードが「断乳」。
の割に全然断乳の話を書いてない、ということで
1年6ヶ月に及んだ授乳と、それを断ち切った断乳の話を
総括がてら書きます。
私が出産した産院は、所謂普通の個人産院でした。
とりたてて新しい設備を取り入れているわけでもなく
かといって設備に不足があるわけでもなく、
ご飯も、よその産院のように豪華なディナーが出るわけでもなく
ごく普通の食事を淡々と出してくれ、
よその産院のように脚ツボマッサージやらなにやらしてくれる
わけでもないが、おっぱいマッサージはしてくれる、
もう、ありとあらゆる意味でごく普通の産院でした。
ただし、「お産は病気じゃありません」のスローガンのもと
産後3日目より母子同室のスパルタぶり。
(ただし預けるのはOKだけど基本的にお母さんが面倒見る)
そして百戦錬磨の助産師さんたちが、
「あかちゃんのお世話」のイロハを叩き込んでくれました。
ま、退院してからはお母さんが面倒見るわけなので
このシステムは、今思えば理に叶ってるかなとは思いますが。
そんななか、オムツ替えもお風呂も鼻掃除もクリアした私が
躓いたのは授乳。
出産前の母親教室で指導された
「乳首の手入れとおっぱいマッサージ」を
サボってたせいか、母乳がなかなか出てこなかったのです。
「とにかくくわえさせなさい」の指導のもと
自分の入院している部屋ではほとんどどちらかのおっぱい出して
生まれたばかりの息子にくわえさせてました。その甲斐合ってか、
なんとか完全母乳でいけるまでになりました。
ところが生後3ヶ月すると息子の顔がぐちゃぐちゃに
なってきました。食物アレルギーが現われてきたんですね。
息子は私の母乳で生きていたので、私が卵と牛乳を
食べるとその成分が母乳に混じり反応するっという
仕組みだったのです。
医師の指導により、私は卵・牛乳・乳製品断ちを
することになりました。
一見簡単そうなこの食生活、実はとっても大変です。
ハム、食べられません。(卵白成分・乳成分が入ってます)
いくら、食べられません。(魚「卵」も「卵」に入ってます)
ポテトチップ、食べられません。(ものによりますが乳成分入ってます)
ハンバーグ、食べられません。(つなぎの卵もアウトです)
天ぷら・コロッケ、食べられません。(衣の卵もアウトです)
その他、NG食品の多いこと多いこと。
最初のうちは泣きそうになりながら、夫を巻き込み、
「卵・牛乳・乳製品断ち」を始めました。
食卓が「昭和30年代の日本」の食卓っぽくなりました。
でも、なれればまぁ、気にはならなくなりましたが。
息子は、母親がそんな苦労をしてるのはまったく知らずに
朗らかにおっぱい大好きっ子に育ちました。
夜寝るときは、おっぱいくわえないと寝ないほどに。
そのうち、離乳食を始める時期になりましたが、
息子はおっぱいが大好きで、なかなか離乳食を食べませんでした。
そのとき、断乳を考えたのですが、
「アレルギーの子はできるだけ母乳を辞めるのを遅らせて」
という医師の指導により、断念。
標準より小さいからだを気にしながらも
離乳食を食べさせ、母乳を与える日々でした。
そして1才過ぎ、だんだん大人と同様の食事になりましたが
一向に体重が増えません。
息子は相変わらずおっぱい大好きで、小食だったからです。
このころになるとアレルギーは落ち着き、
直接卵・牛乳を取らなければ、まぁ、大丈夫になりました。
なんで、私も少しずつ、それらの食品を食べるようになりました。
アレルギーが落ち着いているので、
息子にも色々な食品を注意して与えてはみたのですが
やっぱり小食は直りません。
そんなこんなしている間に1才6ヶ月検診がやってきました。
予想通り「小さいですね」の一言が。
息子の場合は持病持ちなので、ある程度は仕方ないのですが
身長は普通なのに体重が少なくて結果的に「やせぎみ」の
判定を下されました。検診の医師には
「まあ、母乳は止めて食事だけで栄養をとるようにね」
といわれました。
そして夫と相談し、断乳することにしました。
そして夫に預け、私は宝塚へと旅行に。
夫は自分の実家で頑張って息子の面倒を見てくれました。
夫に聞くと、私がいなくなった1日目の夜は
なんと完徹で泣きつづけたとか。
明け方、泣きつかれて寝たんだそうです。
おつかれさまです>夫
で、数日後、私が帰ってきました。
息子は寝起きでした。
多分、このころの息子の思考は
「母親=おっぱい」というものだったのだと思います。
寝起きで感情が不安定だったのかもしれません。
私をみるなり私のTシャツをめくりました。
私は自分のおっぱいを見せました。
その瞬間、息子はこの世の終わりのように泣き崩れました。
私のおっぱいには大きなばんそうこうが貼ってあって
いつも自分が吸い付いていたところがなくなっていたからです。
(よくありがちな、おっぱいにアンパンマンの顔を食紅で描く、は
なんか嫌だったのでやらなかった)
おいおいおいおい泣きつづける息子。
そんなにショックなのかと動揺した私。
母乳を与えないということは、今まで息子と私が
繋がっていた一つの絆が断ち切られた気が、
息子と私は感じたんだと思います。
が、所詮は1歳児。
おっぱいのことは次の日にはさくっと忘れ(多分)
もりもりご飯を食べるようになりました。
ほんと、びっくりするくらい。
体重もなんとか平均ラインに食い込み、一安心。
最近は「卒乳」といって、本人と相談して辞める、
というやり方が一般的なようですが、
私と息子の場合は無理やり辞める「断乳」でした。
でも、おわりよければ全てよし、になって
良かったと思います。
しかし、私は息子に許可なく
息子が私のおっぱいに吸い付いている姿を
携帯ムービーに録画しておきました。
将来、息子がぐれたり生意気な口を叩いたら
それをみせてやろうかな、なんて思います(逆効果?)。
宝塚関係でここに来られた方が多いのですが
その次に多いキーワードが「断乳」。
の割に全然断乳の話を書いてない、ということで
1年6ヶ月に及んだ授乳と、それを断ち切った断乳の話を
総括がてら書きます。
私が出産した産院は、所謂普通の個人産院でした。
とりたてて新しい設備を取り入れているわけでもなく
かといって設備に不足があるわけでもなく、
ご飯も、よその産院のように豪華なディナーが出るわけでもなく
ごく普通の食事を淡々と出してくれ、
よその産院のように脚ツボマッサージやらなにやらしてくれる
わけでもないが、おっぱいマッサージはしてくれる、
もう、ありとあらゆる意味でごく普通の産院でした。
ただし、「お産は病気じゃありません」のスローガンのもと
産後3日目より母子同室のスパルタぶり。
(ただし預けるのはOKだけど基本的にお母さんが面倒見る)
そして百戦錬磨の助産師さんたちが、
「あかちゃんのお世話」のイロハを叩き込んでくれました。
ま、退院してからはお母さんが面倒見るわけなので
このシステムは、今思えば理に叶ってるかなとは思いますが。
そんななか、オムツ替えもお風呂も鼻掃除もクリアした私が
躓いたのは授乳。
出産前の母親教室で指導された
「乳首の手入れとおっぱいマッサージ」を
サボってたせいか、母乳がなかなか出てこなかったのです。
「とにかくくわえさせなさい」の指導のもと
自分の入院している部屋ではほとんどどちらかのおっぱい出して
生まれたばかりの息子にくわえさせてました。その甲斐合ってか、
なんとか完全母乳でいけるまでになりました。
ところが生後3ヶ月すると息子の顔がぐちゃぐちゃに
なってきました。食物アレルギーが現われてきたんですね。
息子は私の母乳で生きていたので、私が卵と牛乳を
食べるとその成分が母乳に混じり反応するっという
仕組みだったのです。
医師の指導により、私は卵・牛乳・乳製品断ちを
することになりました。
一見簡単そうなこの食生活、実はとっても大変です。
ハム、食べられません。(卵白成分・乳成分が入ってます)
いくら、食べられません。(魚「卵」も「卵」に入ってます)
ポテトチップ、食べられません。(ものによりますが乳成分入ってます)
ハンバーグ、食べられません。(つなぎの卵もアウトです)
天ぷら・コロッケ、食べられません。(衣の卵もアウトです)
その他、NG食品の多いこと多いこと。
最初のうちは泣きそうになりながら、夫を巻き込み、
「卵・牛乳・乳製品断ち」を始めました。
食卓が「昭和30年代の日本」の食卓っぽくなりました。
でも、なれればまぁ、気にはならなくなりましたが。
息子は、母親がそんな苦労をしてるのはまったく知らずに
朗らかにおっぱい大好きっ子に育ちました。
夜寝るときは、おっぱいくわえないと寝ないほどに。
そのうち、離乳食を始める時期になりましたが、
息子はおっぱいが大好きで、なかなか離乳食を食べませんでした。
そのとき、断乳を考えたのですが、
「アレルギーの子はできるだけ母乳を辞めるのを遅らせて」
という医師の指導により、断念。
標準より小さいからだを気にしながらも
離乳食を食べさせ、母乳を与える日々でした。
そして1才過ぎ、だんだん大人と同様の食事になりましたが
一向に体重が増えません。
息子は相変わらずおっぱい大好きで、小食だったからです。
このころになるとアレルギーは落ち着き、
直接卵・牛乳を取らなければ、まぁ、大丈夫になりました。
なんで、私も少しずつ、それらの食品を食べるようになりました。
アレルギーが落ち着いているので、
息子にも色々な食品を注意して与えてはみたのですが
やっぱり小食は直りません。
そんなこんなしている間に1才6ヶ月検診がやってきました。
予想通り「小さいですね」の一言が。
息子の場合は持病持ちなので、ある程度は仕方ないのですが
身長は普通なのに体重が少なくて結果的に「やせぎみ」の
判定を下されました。検診の医師には
「まあ、母乳は止めて食事だけで栄養をとるようにね」
といわれました。
そして夫と相談し、断乳することにしました。
そして夫に預け、私は宝塚へと旅行に。
夫は自分の実家で頑張って息子の面倒を見てくれました。
夫に聞くと、私がいなくなった1日目の夜は
なんと完徹で泣きつづけたとか。
明け方、泣きつかれて寝たんだそうです。
おつかれさまです>夫
で、数日後、私が帰ってきました。
息子は寝起きでした。
多分、このころの息子の思考は
「母親=おっぱい」というものだったのだと思います。
寝起きで感情が不安定だったのかもしれません。
私をみるなり私のTシャツをめくりました。
私は自分のおっぱいを見せました。
その瞬間、息子はこの世の終わりのように泣き崩れました。
私のおっぱいには大きなばんそうこうが貼ってあって
いつも自分が吸い付いていたところがなくなっていたからです。
(よくありがちな、おっぱいにアンパンマンの顔を食紅で描く、は
なんか嫌だったのでやらなかった)
おいおいおいおい泣きつづける息子。
そんなにショックなのかと動揺した私。
母乳を与えないということは、今まで息子と私が
繋がっていた一つの絆が断ち切られた気が、
息子と私は感じたんだと思います。
が、所詮は1歳児。
おっぱいのことは次の日にはさくっと忘れ(多分)
もりもりご飯を食べるようになりました。
ほんと、びっくりするくらい。
体重もなんとか平均ラインに食い込み、一安心。
最近は「卒乳」といって、本人と相談して辞める、
というやり方が一般的なようですが、
私と息子の場合は無理やり辞める「断乳」でした。
でも、おわりよければ全てよし、になって
良かったと思います。
しかし、私は息子に許可なく
息子が私のおっぱいに吸い付いている姿を
携帯ムービーに録画しておきました。
将来、息子がぐれたり生意気な口を叩いたら
それをみせてやろうかな、なんて思います(逆効果?)。
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